あれから30年経って, 同じモデルが再びカメラの前に立つ。まったく同じセッティング, 同じカメラ, 同じアナログ技術で写真を撮る。何て素敵なアイデアだろう! しかし、30年の歳月が経ち, すべてのモデルがここに集まれたわけではない。何人かはすでに亡くなっており, 何人かは行方がわからない. 実際, ほとんどのケースで, 写真家自身にとっても, 誰に再会できるか, あるいは誰が心変わりをしているか, 誰が以前のようにモデルになることをためらうか, あるいは何か他の理由で断るのか, まったく予想はできなかったはずだ. そして今, 二枚組の写真を前にして思う. 30年後の写真は予想どおりだっただろうか? 30年の時の流れが, この写真の中には広がっている. 確かに、いくつかの出来事は彼らの心の傷跡を消し去ったかもしれない. だが新しい写真の中にはそれらが反映されてはいないだろうか?
私自身もモデルになった. 私自身の個人的な感想は, 他のモデル達が感じたものとは少々異なる. これほどの歳月は, 我々の自我との付き合い方にどれほどの変化がもたらしたのだろう? 新しい写真は, モデル自身の今と昔とを再確認させるものとなるのだろうか? 我々はここで学んだものを冷静かつ現実的に評価できるだろうか? 私たちは人生の経験を通して, 外観が形作られるものと信じる傾向がある. しかし本当にそうだろうか? もちろん, 肖像写真家は, 対象をわざと古びて見えるように加工することもできる. しかし私たちが今目にしている写真に対しては, だれもそのような意見を認めないだろう. そしておそらく私たちが認めるのは, モデル達の年齢の積み重ねではあるが, とはいえ私たちが以前より賢くなっていることを示してはいない. そしてまた, モデル達は彼らが経験した変化以上に, 歳をとっているようには見えない. 彼らの表情以上には, 何かより深い意味があるわけでは無いようだ. それともこれらの写真は単に30年前にもここにいたし, 今もここにいるということを示しているだけなのだろうか? それならば, なにも現在の写真など必要はなかっただろう. 写真家が単に我々モデルの存在を確認し, 30年前のモデルのアイデンティティーと変わっていないことを確かめただけのことになってしまう. それでは, 写真家の真の目的はどころあったのだろう? 時間の経過を記録することかもしれない. 人生には自然に沿った流れがあり, それを確認できたということなだろうか? その意味では彼は成功しているし, 十分に注目すべき作品といえるだろう! 写真家は30年間に生じた変化を証明し, その変化によって必ずしもモデル達が魅力を失ってはいないことをも証明した.
この写真家の名前はヴィエスワフ・ウズダニェスキ, そしてほとんどのモデルはイエテボリにある写真学校の生徒の仲間たちである. 私の場合は違うが... 私はかなり以前に, 彼の仕事に関する解説を書いた. さびしげなアメリカの田舎の景色を想像しながら. そのイメージは素敵だった. しかしながら私はいずれの日にか再び, 彼の人間に対する理解に関する作品を見ることを期待していたのだった. これまで30年間, 私はこの作品を待ち続けたといえるだろう.
© ヘンリク・ルビンシュタイン 2010