世界的アーティストとその最も手ごわい批評家

ジョセフ・ポラック


2000年、マニャ・ストイッチュが、ニューヨークタイムズから子供たちのための本の世界トップ10のイラストレーターの一人として選ばれた時、 彼女はまだ国際的な出版分野では新人に過ぎませんでした。彼女が生まれたユーゴスラビアは、内戦によって崩壊してしまいました。かつては平和だった隣人どうしがお互いを殺し合うようなことが起きました。民族的には混じりあったコミュニティに住んでいた子供たちは、親愛なるものの非業の死に直面するたびに恐ろしい思いをしていました。セルビアとクロアチア両方の血を引く若いアーティストであったマニャは、子供たちが夢を持ち続けられるように、明るい色を探し続けました。

彼女の母国ユーゴスラビアが世界地図から消えてしまった後も、マニャの本は世界中で子供たちに幸せをもたらし続けました。彼女の本は、アジア、アメリカ、ヨーロッパで出版され、彼女の作品は評論家から称賛を得ました。彼女は、権威ある英国のケイト・グリーンウッド賞(2001、2008)やそれ以外にもアーティストのための国際的な賞で入選しました。それでも、2006/07の冬にロンドンの彼女のスタジオで初めての彼女にインタビューしたとき、彼女の多くの栄誉のうちどれが芸術家として最も重要だと思うか訊ねたところ、彼女は成長期の多文化の背景をもつ娘ルバの母親であることが最も大切だと答えたのです。

「ルバは、いつでも私にとって最も厳しく、そして要求の多い批評家です」と、マニャは言います。「彼女は、すべての他の子供たちがそうであるように、その絵が好きか嫌いか、いつも率直に批判的に判断してくれます。児童本のイラストレーターが国際的な賞の審査員からどんなに称賛の評価を得られたとしても、もし絵が自分自身の子供の想像力に影響を与えられなかったとしたなら、アーティストとしては本当には満足が得られないものです。」

それから6年間、私がヨーロッパにもどったときにはいつでもロンドンのマニャを訪れる機会を作りました。そして彼女の最新の本のプロジェクトについて話しを聞きました。我々が彼女のスタジオで話をするときや、台所のテーブルで菜食主義の食事を食べながら、彼女のロンドン生まれの娘ルバは、いつも私を驚かせるような質問をしたものです。「あなた、今度は私のおばあちゃんを私から盗まないでしょ?」とか、「あなたは、おばあちゃんの窓の外で緑の木を見たことがある?ときでき狐の家族が庭に訪れるの…。」

それからというもの、ルバは私のマニャへのインタビューでは不可欠な要素になったのです。ルバは私に、ロンドン庭に住んでいる狐の色について、そし雨の日に空を飛び越える仔羊の色について教えてくれました。私が二回目に訪れたとき、ルバは彼女の家には他の動物たちが隠れてるというすごい秘密を明かしてくれました。それは二階の彼女のベッドルームにライオンと象が隠れているというのです。私は何とか顔をまっすぐにし続けようとしました。「もしあなたが信じていないのなら、ママがいない時に私の部屋に来てちょうだい。」

次の朝、マニャがイングランド最大手の出版社、ピアソン社にグラフィックデザインマネージャーとしての仕事で家を出たとき、彼女の6歳の娘ルバは、私に彼女のスケッチブックを見せてくれました。そこには青いライオン、多色のシマウマ、オレンジ色の象、そして他の素晴らしい動物たちが住んでいました。彼らはクレヨンで描かれた、そしてそれらはあらゆる可能な色やありえない色で彩られた虹色の家族のようでした。雲でさえもが、空を飛ぶ水牛ような魔法の動物が描かれていました。他にもかわいらしい生き物たちが描かれていて、これらはアフリカのジンバブエにいるおじいちゃん、おばあちゃんを訪れたとき、お友達になったんだよ、とルバは力説しました。

2-3年後、私はマニャに、何故たくさんの彼女の絵本が、ヨーロッパから遠く離れた場所に住む子供たちにも好かれているのか訊ねました。すると彼女は、絵本を作るとき、特定の一つの文化を心に留めることは決してしない、と答えました。「南アフリカ、中国、ロシア、日本、アメリカ合衆国、あるいは私の本が他のどんな国で出版されたとしても、それぞれの国の食べ物や着るものの好みが違うかも知れないとしても、また彼らの言葉が違うのと同じように彼らの遊び方が異なるとしても、でも本質なところでは、子供はみんな同じなんです。彼らは強い好奇心をもっています! 好奇心は、文化や社会現象ではなく、なにか人類に共通なものなのです。子供達が初めて身近な周囲を自分の目と口を使ってそれからだんだんと手や足を使って探検する様子は、彼らの人生の長い旅路の始まりの証人となるようなものです...それは果てしのない形と色によって形作られた、不思議な世界への旅なのです。」

マニャによれば、それぞれの子供の心の旅はそれぞれの道をたどりながら、互いにとても良く似てもいるのだそうです。アーティストの仕事は子供たちの自然な好奇心と、冒険心とを結びつけること。なんでもかんでも数字で表され、多かれ少なかれ制御できるような大人たちの世界とは違い、子供たちの世界では、現実と夢の間の境界は、しばしばぼやけており、何もかも不可能なことはないのです。子供たちの空想には限りがありません。私がマニャに、彼女の色と形が簡単に文化の境界線をやすやすと越えてしまうことができるのも、民族的な違いを越えて子供たちに受け入れられるのも、同じ理由なのでしょうかと訊ねると、彼女はとても軽く、イラストレータは文化人類学者ではないので理由を探そうとは思いません、ただ色を使って自分の仕事をしているだけなのです、と答えました。

現在、マニャは以前ほどアートの力を用いた異文化間交流の役割を演じているわけではありませんが、ある日本人の学芸員は、マニャが描いたイラストレーションから、特に日本語版の「あめ!」に魅せられて、多くを学んでいます。武蔵野美術大学在学中の阿部仁美によれば、マニャの絵は一見、子供のために描かれたイラストレーションに見えるかもしれませんが、実際は注意深く色と形が構成されていて、友人のグラフィックデザイナー達が見ても魅力的なものになっているといいます。仁美が「あめ!」にみられる絵の構成に圧倒され、マニャに作品をネットギャラリーで紹介したいと伝えたところ、マニャは即座にしかも快くその申し出に賛同してくれました。

あるとき、仁美のホームページ制作を手伝っている協力者の一人は、マニャのように世界的に有名な絵本作者が、学芸員の勉強を始めたとはいえ、まだ美大生に過ぎない仁美に、気軽に作品の公開を託すの何故なのでしょうかと私に訊ねました。私は、それはルバのためだよ、と彼に答えました。ルバって誰ですか?とその日本人は訊ねました。ああ、ルバというのは、マニャにとって最も要求の多い批評家なんですよ、と私は答えました。それから30分間というもの、ルバの不思議な世界、ユーゴスラビア生まれの母親のロンドンの画室の隣の寝室に隠されている色とりどりの動物達、に関する話で、盛り上がったのです。

ユーゴスラビアは、国としては地図の上から消えてしまいましたが、今でも地球上の各地で活躍する多くのアーティスト達の心の中に息づいています。子供たちの夢を絵描く、マニャ・ストイッチは、そんなアーティストの一人なのです。

© 2013 Joseph Polack, Japanese Translation: Hitomi Abe